2020.02.13|コラム
衣類を収納する箪笥 (たんす) が登場したのは、今から約330年ほど昔、江戸時代の寛文年間 (1661~1673) に大坂で造られたのが最初と推測されています。その後、元禄文化が華やいだ頃、小袖の流行とともに衣裳箪笥も各地へ普及したようです。
しかし、当時、箪笥を持つ事が出来たのは上流階級の人達だけで、庶民は竹などで編んだ葛籠 (つづら) ・行李 (こうり) や木製の櫃 (ひつ) ・長持と呼ばれる箱に衣類や家財道具を収納していました。
その当時の庶民生活は貧しく、箪笥を必要とするほど多くの衣類を持ち合わせていなかったのです。 また、箪笥は物を整理して収納でき、出し入れも便利ですが、長持などの箱と比べると抽斗 (ひきだし) が付くため材料が数倍必要となり、製作にも手間暇がかかります。 そのため高価になり、貧しい庶民には手が届かなかった様です。
庶民にまで箪笥が普及するようになったのは江戸末期になってからで、箪笥の歴史は思ったより浅いです。
行李
櫃
長持
箪笥は抽斗 (ひきだし) 式の収納家具を指しますが、木製なのに何故か竹かんむりが充ててあります。 中国では 「箪」 も 「笥」 もそれぞれ独立した言葉で、竹製の箱や食器を意味しています。 この漢字が用いられる以前の安土桃山時代にはタンスは 「担子」 と書かれ、主に茶道具や武器などを入れて持ち運ぶことが出来る箱を指していました。 担子は中国からきた熟語で、中国では”danzi”と発音し、天秤棒の両端にかけた荷物の意味です。
このように 「たんす」 は持ち運び可能な小型の箱を指していましたが、徐々に大型化し抽斗も付くようになり、 その過程でいつしか 「箪笥」 の文字にすり変わったようです。江戸時代に書かれた辞典 「和漢三才図会」 に、 タンスに箪笥の字を充てる様になったのは大変良くないと書かれています。
現在ではあまり使われなくなった言葉ですが、箪笥の数は一棹 (さお) 、二棹 … と数えます。
その語源を辿ると、箪笥が普及する以前の江戸初期には、長持の下部に車を付けた 「車長持」 が流行していました。 火事の際、長持ごと曳いて運び出せるので便利でしたが、明暦三年 (1657) に起った江戸大火の時、皆が一斉に車長持を引き出したため路地がふさがれて大惨事が起きました。 そのため幕府は、江戸、大坂、京都の三都で車長持の製造を禁止しました。 その後の長持は、棹を通して担いで運べるタイプが主流になります。
その頃から普及し始めた箪笥にも棹を通して運べる構造 (棹通し金具) が取り入れられ、一棹、二棹 … と数えるようになったのです。
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